古代だけではなく、現在においても、ミラノを中心としたファッションのみならず、各種デザイン、例えば建築等においてもイタリア人の活躍は大いに世界の中でもその存在感が際だっている。
イタリア半島を最初に統一した古代ローマ帝国であるが、その末期である313年にコンスタンティヌス大帝がキリスト協を公認することに伴い、オリエントとヘレニズムが融合され、キリスト教的古代ローマ美術が生まれた。聖堂の内部はモザイクや壁画で装飾された。
7世紀〜11世紀の混迷期後、11世紀に古代ローマ時代以来となるイタリア各地域の都市の復興が見られ、商人や職人等の都市民衆が新文明の中心人物となる。これらの市民は自立の意識が高く、このような背景の中、ロマネスクが誕生する。その中心は、市民の精神的な拠り所である大聖堂であった。ミラノのサンタンブロージョ聖堂は、ロマネスク聖堂の原型である。ヴェネツィアはビザンチンの影響を受け、サン・マルコ大聖堂が1094年に完成した。
12世紀〜14世紀には、ヨーロッパ各地で、都市の発展、市民の復興が見られ、初めて固有の文化(ビザンチンやアラブの影響を受けていないという意味で)が生まれ、この市民文化がゴシックです。
フランスの聖堂建築がその起源ですが、イタリアゴシック建築は独自の目的で建立され、フィレンツェのサンタ・クローチェ聖堂、オルヴィエート大聖堂がその代表作で、有名なミラノの大聖堂ドゥオモは、北方ゴシックの様式に分類される。
人間発見の時代とも言われ、芸術論理が展開され、人体比例法、幾何学的遠近法が研究された。レオナルド・ダ・ヴィンチは「最後の晩餐」で人間心理を探求した。
(1420年〜1500年)初期 フィレンチェが中心
フィレンチェのサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の起工から始まり、マザッチョ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ピエロ・デッラ・フランチェスカ等が絵画を表現し、ゴシック形式は、ボッティチェッリ、フラ・アンジェリコが受け継いだ。
(1500年〜1520年)盛期 ローマが中心
教皇ユリウス2世の理念を担ってラッファエロが表現し、ミケランジェロは絵画より彫刻こそルネッサンスを象徴するのにふさわしいものだと考え、世界最小の独立国、ヴァティカン市国の中心であるサン・ピエトロ大聖堂に隣接した教皇専属の礼拝堂であるシスティーナ礼拝堂の大壁画「最後の審判」を6年の歳月を費やし1人で描いた。天井に描かれた旧約聖書の創世記の物語、祭壇の上に描かれた人類終末のドラマは、美術史上最大の傑作と言われています。
16世紀後半のルネッサンス後の古典美術の達成感にあふれた時期に、内的な情念を表現した芸術である。
トレント公会議(1545〜1563)以後、ローマ教会が民衆の教化手段として新たな宗教芸術の形成を狙う。バロックとは、ポルトガル語のBARROCO(ゆがんだ真珠という意味)を語源にもつ言葉で17世紀から18世紀にかけて、ルネッサンス後のヨーロッパに流行した様式である。壮大な構想と細部にわたる過剰な装飾技巧が特色で古典美術と対立する、